聖跡のご紹介
明治天皇 絵画と聖蹟「第3回 王政復古(おうせいふっこ)」
慶応3年12月9日、「王政復古の大号令」が発せられ、天皇を中心とする新政府が樹立されました。改革の精神は、初代神武天皇による建国に基づくものでした。強大な欧米諸国の圧力に対峙しつつ新しい日本を築いていくことは、神武建国に比すべき困難かつ遠大な大事業でした。そのためには長く続いてきた制度を一新することが必要不可欠でした。幕府が廃絶となると同時に摂政や関白も廃されて、天皇が改革の先頭に立たれることが強く求められたのです。
9日夜、御年15歳の天皇ご臨席のもと、新たに任命された総裁・議定(ぎじょう)・参与の三職が宮中の小御所に集まり、15代将軍徳川慶喜の処遇を決める新政府最初の会議が開かれました(小御所会議)。前土佐藩主の山内豊信が慶喜の参会を求めたのに対し、武力討幕派の岩倉具視がこれに反駁(はんばく)するなど、会議は紛糾しました。新時代の船出は容易なものではありませんでした。
新政府から慶喜を排除するとの決定に憤激した旧幕府軍は、大坂から京都へ進撃し、京都南方の鳥羽・伏見で新政府軍と衝突、1年余にわたる戊辰(ぼしん)戦争の幕が開きました。
聖蹟に行ってみませんか
〔小御所〕
京都市・京都御所内
江戸時代は天皇が将軍や大名と対面するための御殿でした。春秋の一般公開、または申込による参観で外観を拝観できます。
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慶応3年12月9日、小御所(京都御所内)
〈明治天皇(奥)・山内豊信(中央左)と岩倉具視(右)・大久保利通(右下背)〉
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聖徳記念絵画館壁画「伏見鳥羽戦」(松林桂月画)
15代将軍徳川慶喜が新政府から追放されたとの報に旧幕府軍は憤激し、京都の南で新政府軍と衝突して戦闘となった。
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鳥羽・伏見の戦いで新政府軍が陣を敷いた城南宮。
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京都競馬場近くには、西軍(新政府軍)および東軍(旧幕府軍)の戦死者を悼む記念碑が建立されている。
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