昭憲皇太后のご坤徳
昭憲皇太后は嘉永3年(1850)4月17日(新暦5月28日)、一条忠香公の第三女としてご誕生になられ、明治元年12月28日、明治天皇の皇后としてご入内あそばされました。

昭憲皇太后御肖像
昭憲皇太后のご生涯は婦徳の鑑と仰がれていますが、殊に女子教育のご奨励と博愛、慈善の事業については、極めて大きな役割をお果たしになりました。
東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)に下賜された御歌
- みがかずば玉も鏡も何かせむ
- まなびの道もかくこそありけれ
は同校の校歌となっています。また「金剛石」の唱歌は、御自らのご作詩で、華族女学校に下賜されたものです。

「女子師範学校行啓」聖徳記念絵画館壁画

「赤十字社総会行啓」聖徳記念絵画館壁画
博愛と仁慈の御心は、日本赤十字社や慈恵会の創立のほか、育児院や孤児院などの養護事業にもそそがれました。特に赤十字事業では、平時の救護活動に先例を開かれ、現在ジュネーブの赤十字国際委員会等で管理運営されている「昭憲皇太后基金」は、今なお毎年、世界各国の赤十字事業の助成に活用されています。
また、昭憲皇太后のお詠みになった御歌も約3万首に及んでおります。
- 朝ごとにむかふかがみのくもりなく
- あらまほしきは心なりけり
- へだてなくいつつのくにに交はるも
- こころのまことひとつなりけり
明治天皇と同じく、すべては「誠」にはじまるとされる尊い御心を拝することができます。
昭憲皇太后は大正3年4月11日、明治天皇のみあとを追われるごとく崩御され、伏見桃山東陵に奉葬せられたのです。

ご祭神ゆかりの「菖蒲田」

ご祭神ゆかりの「隔雲亭」